どうもこんにちは。
きはらたけるでございます。
久しぶりの旅はお城巡りでございます。
今回は岐阜県大垣市の「大垣城」を見てきました。
(広場側からのお写真)
実は去年1度見に行っているんですが、少し見聞も広くなったみたいで、去年よりはとても楽しく見て学ぶことが出来ました。
大垣市のランドマークでもある大垣城ですが、天下分け目の関ヶ原の戦いでも重要な役割のあるお城だったそうです。
ということで大垣城について少し触れていきます。
大垣城の歴史
築城に関して天文4年(1535年)ごろに築城されたという説と明応9年(1500年)に築城されたという説の2通りあります。
「美濃を制するは天下を制す」と言われるほど軍事、経済上の要地であり、豊臣秀吉はこの城を東国に対する「要」の城と重視していた。
天正18年(1590年)から城主となった伊藤祐盛は、大垣城の修築を行い、文禄4年(1595年)から翌慶長元年(1596年)にかけて天守を築いた。天守は合戦屏風には3階建てに描かれており、元和6年(1620年)松平忠良が世にも稀な四重四階に改築されたと言われている。四(死)を忌み嫌っていた当時の建築としては世に類のない構造であった。寛永12年(1635年)戸田氏鉄が城主になって以降は、明治維新まで戸田氏11代による大垣藩政が続けられていた。
(大垣城内の資料を一部抜粋)
(大垣城内掲示の資料)
というのがざっくりとした歴史なのですが、この「要」という言葉通り、関ヶ原の戦いでは西軍石田三成の本拠として「要」の役割を果たします。
結局大垣城から出て主戦場は関ヶ原に移るわけですが、西軍の防衛の起点とも言える城でした。石田三成が転進してからは、石田三成の妹婿に当たる福原長堯を城将に、大垣城籠城戦というのがございます。
第二次世界大戦の時の空襲に焼失していますが、現在は鉄筋コンクリートで再建されています。
大垣城の外観
(大垣城入り口横からのお写真)
外観はあの真っ白なお城でおなじみの姫路城と同じ「白漆喰そう塗りごめ造り」だそうです。
ちょっとした既視感があるはずです。パーフェクトな美白ですね。
あと気になったところは天守の最上階にはお外に出られるベランダがあるお城が多いのですが大垣城はお外には出られなかったんですよね。
それがちょっと残念でした。
また高台になっており、商店街からも白い城壁が見えるのが素敵です。
関ヶ原の戦いの当時は周囲に高い建物がなかったため、大垣城からかなり遠くまで見渡せたそうです。
大垣城まとめ
大垣市のランドマークで、大垣駅から商店街を歩いて10分もかかりません。
ちょっと小高いくらいの場所に建てられたお城ですので、駅からは見にくいですが、商店街を歩いて大垣城の看板の横を見ると急にお城が見えるのでインパクトはあります。
(商店街からの写真)
アーケードが少しひらけている場所があるので、そこから覗くとこんな感じにお城が見えます。
地理的にも良く周囲には岐阜城をはじめ、犬山城や清洲城など大きなお城が多いですが、西軍石田三成たちの最後の本拠地となったお城で、役割は小さくありません。
現在の大垣城内は一般的ではあるのですが、資料館となっております。
中の資料に関ヶ原の戦いまでの軌跡や大垣城の役割などが細かく書いてあります。
初めての人でも面白いお城ではありますが、事前に勉強をしていかれた方が楽しめることは間違いありません。
大垣と言えば水まんじゅう
大垣は水の都と言われるほど豊かな自然水に恵まれています。
駅周辺だけでもいくつものお菓子屋さんがあり、美味しい水まんじゅうを提供しています。
また、一緒に飲む抹茶も絶品ですので、大垣城を堪能したら次は水まんじゅうを食べながら一息つくのがおすすめです。
水まんじゅうと岐阜県でよく売られている和菓子「若鮎」です。
冷たい抹茶と一緒にいただくのが最高に美味しいですよ!
ということで、大垣城と水まんじゅうのご紹介でした。
大河ドラマの「麒麟がくる」で岐阜も盛り上がっています。岐阜城だけでなく大垣城も素敵なお城ですので、ぜひ一緒に回ってみてはいかがでしょうか?
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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